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楽になるために何かを足さない

少し前に長崎に帰省してました。
それで思い出したんだけど、浜松で野引さんと一緒にトークイベントをした時のこと。
ぼくは初めての浜松、なんか人が穏やかであたたかい。
地元愛が強い人が多いのかな、でも博多みたいなオラオラな気質とは違うんだよね。
静岡の人「あ、さわやか行かれたんですね、いかがでした?わー良かったですぅ、さわやかのハンバーグ美味しいですよねー」
みたいにあっさりとしたテンション。でも気に入ってもらえたならとても嬉しいというのはすんごい伝わってくる。
これが博多だと同じ地元愛でも様子が違ってくる。
博多の人「な、博多はよかとこやろーが⁉︎ほれ、これ食べてみない!どげんや?な!な!美味しかろーが!これが博多たい!」
みたいなビックリマークの応酬が最後まで続く
静岡のソウルフード「さわやか」のハンバーグ、もうほんと美味しかった。

また浜松行きたい。

そうそう、ぼくと野引さん、TM瞑想というのを毎日やってるんです。ビートルズとかがやってたやつですね。
ぼくも野引さんをきっかけにして、ジョン・グレイなど世界のベストセラー作家の多くがやってると聞いてぼくもはじめたのです。
そして浜松のトークイベントを主催してくれたのが、TM瞑想教師をされてる原田さん。
こういったイベントの企画は初めてとのことだったのですが、初めてとは思えないほど前説も堂々としてらして、色々と気づかいいただき嬉しかったです。
ぼくらが話したことがTM瞑想の教えとおんなじだったらしく、そんなことなど全く知らず好き勝手に話してたのですが、ご参加くださったTM関係者の方々にもご理解いただいたようで良かったです(笑)
その時にも話したんだけど、この世界って物質的に存在しているかのように見えるけれど、意識が世界を構築してるに過ぎないんです。
まさにTVゲームの中の主人公のようなもの。
しかしゲームの主人公でありながら、そのキャラクターを操作しているゲームプレーヤーでもある。
さらには、このゲームそのものを創っているゲームプログラマーでもある。
主観(ゲームキャラクター)、
客観(ゲームプレイヤー)、
超客観(ゲームプログラマー)
の自分がいます。
だけどゲームの主人公としての自分は、ゲームプレイヤーとゲームプログラマーの自分の存在を自覚しちゃうとゲームそのものがつまんなくなるので知らないことになってるわけです。
だって、喜怒哀楽のすべてを味わい尽くすのがこのゲームの目的なわけだから。
でも、この客観視する目線が備わると、人生は楽にはなる。
もし嫌いなヤツがいたとしても、許せないとか相手が間違ってるとか、そういう思考とくっつけて扱わなくなる。
嫌いは嫌い。ただそれだけでいい。
好きな人に自分の時間を費やす人生にフォーカスすればいい。
といった感じのことをいつも話してるのだけど、「世界が意識である」というのがTM瞑想と通じるところがあったのね。
そう、ぼくは事故に遭ってから生きるのが楽になった。
楽になればなるほど、些細なことにありがたいと思えるので、楽になるために何かを足す必要がない。
仕事に出かける時は楽しみにして出かけるし、仕事が終わったら「楽しかったね」と野引さんと話しながら帰る。
そして、翌日のことを考えても憂鬱になることがない。だから気持ちよく眠れるし朝は快適に目覚める。
連休明けの仕事だってゲンナリすることはない。
そんな毎日だから自然と「幸せだなあ」と漏れ出てしまう。
幸せを足そうという発想がなくなればなくなるほど、幸せは勝手に上乗せされて増幅していくもの。
これはワクワクと一緒でね、ほんとうにワクワクしてるときって、ワクワクは消えている。

それが叶ってる最中はワクワクが消えてるんだよ。

というわけで、幸せのフローが起きる法則を簡単に書いてみたよ(笑)

なんか博多の人には不名誉な登場のさせかたしちゃいましたね。

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