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「神さまはわたし自身」とかいう人

神さまってなんだろう?
「神さまはね、あなた自身が神さまなんだよ」
こういうふうに伝える人たち、とっても多いです。

さてこの「わたしが神さま」という存在、ぼくの考えでは「自分自身」です。
ぼくが皆さんに一貫して伝え続けているのは、「この世界は自分の意識でつくっている」ということ。
この世界の創造主は自分なんだということなんですよ。

しかしこの「神さまも自分自身」というのを「おや?」と思う解釈で捉えている人をごくたまにブログなどで見かけることがあります。
どうやら、自分の劣等感を埋めるために「わたしが神さまなんだ」を使ってるっぽい。

その場合の「わたしが神さま」は、神さまというイメージが与える『権威』に頼る行為であって、権威を自己肯定感に使ってるんじゃないかなと思うんです。

権威に頼った自己肯定感をエスカレートさせていくとどうなるかって、おかしな自己神格化になっちゃうのなー。
そんな人たちが言う「わたしは神さま(またはどこぞの偉い神さまの生まれ変わり)なのよ」というのと、「自分自身が神さまなんだよ」とか「この世界は自分の思い通りなんだよ」っていうのは、似てまったく非なるものなんですよ。

いやまあ自分のことを「自分はどこぞの神さまの生まれ変わりだ」という人というのは、キャラ設定が強固な人というのは、それはその人が思い通りの世界を創造してるわけだから、あながち間違っているとぼくに否定することは出来ません。

ぼくにとってはニセモノと感じるものであっても、その人にとってはホンモノというだけの話です。本人がそうだと信じきっているならそうなんでしょうよ。

目に見えているこの世界は「自分をどの情報空間に身を置くか」によって創られています。

それでね、何が言いたかったかというと、
「わたしが神さま論」そのものを毛嫌いする人というのも少なからず存在するわけですよ。

アンチスピに多いのだけども。
で、そういう人たちというのは、過剰に自己神格化させちゃった人たちに対する胡散臭さから嫌悪してるのではないかなと思うんですね。

「わたしが神さま」という言葉だけが一人歩きして胡散臭く取られちゃってんの。
同じ「わたし神さま」って言葉を使っていても、そもそもの解釈の仕方が違うからね。
「秋ナスは嫁に食わすな」に二つの解釈があるのと同じだよね。
ほんとうの意味での「神さまは自分自身」というのは、劣等感とか自己顕示欲とか選民意識とかのないとこで言ってるんですよ。

ああ、だからさ、「お客さまは神さまです」て言葉に対抗して「接客する側も神さま」とか言い出したのなんかは劣等感や失う怖さからだよね。
「客は客だろ」てサービスする側が声高には言いにくかった時代のね。

そんなもんはさ、つべこべ言わずにいっぺん全員で人間界に降りてくりゃいいんですよ。
あんなのは貨幣の単位を下げて冷静にさせるデノミと一緒だから。

お客さまは、ただの人です。
もてなす側も、ただの人です。
ただの人と人とのやりとりだから、互いに思いやる関係でありたい。

そんだけのことなのに、劣等感のぶつけ合いで神さまに仕立て上げてどうすんだよって話し。
劣等感を埋めるための自己神格化というのはさ、イメージ的にはコックリさんだね。
色んなこと、大げさに解釈しすぎてることって、たくさんあるよね。自分も含め。

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