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新時代にこの発信の仕方はダサかった

みんなすっかり忘れてると思うんだが、昨年は令和元年だったよね。
コロナ以前の、令和に入ってから確実に過ごし方が変わりました。

主にだらだらと自宅で過ごし野引さんと近所の公園に散歩行ったり、水槽の魚を二人でぼーっと眺めたり、実に平和なものです。

スーパーに買い物に行くと、本居宣長にそっくりのマダムがいたので、「ねえ、さっき本居宣長にそっくりの人がいたんだけど、そんなこと言ってもワケわかんないよね」と野引さんに言うと、「これ?」と言って本居宣長の顔マネをしてくるwそしておそろしく似てるwww

といった具合に、我が家はほのぼのと暮らしています。

ぼくらは全くと言っていいほどケンカをしません。どちらかがイライラしていたりすることはあるけど、それでも半日と続いたことがない。
爆笑しない一日があっただろうかというぐらい、毎日何かしら笑って暮らしている。だし、一日2時間以上は何かについて話しをしていると思う。

関係がギスギスしないのは、笑いのツボが同じというのもあるけど、気を利かせるポイントが似てるというのは非常に大きいかもしれない。
また、人に丁寧に接する人が好きだし、丁寧につくった空間や思いを壊すような人はとにかく嫌い。そういった価値観も似ている。
もちろん互いの細かい価値観は違うのだけど、何かにつけて共感できるところが多いというのは、一緒にいてストレスがないのです。
それに、そんなに時間や仕事に追われるような生活でもないというのも、心にゆとりを保っていられるからそれも大きいよね。
ゆとりといえば、ちょうど今年の3月ぐらいからね、少し発信の仕方を変え始めたんですよ。
ぼく、前に比べてシニカルなことをあんまり書かなくなったんだよねw
何かを揶揄したりシニカルな発信をするときの理由は大きく5つ。
1、過去の自分を見ているから
2、ただの欲求不満
3、自分がかつて受けた古傷がうずくから
4、劣等感を隠すため
5、単なるポジショントーク
純粋にポジショントークのときならいい。敢えてアンチを唱えてみて裏側からスポットを当てることで物事の本質が立体的に浮き上がってくることもあるし、ある意味でエンタメ性もあっていいと思ってる。
でもいつも計算して出来てるかというと、正直そうではなかったなとも思うんよね。
もしもぼくが、無意識のうちにポジショントーク以外の4つのどれかしらの理由で発信してる時もあったのではないかと思ったらさ、それってなんかダサいなーと思ったのです。
事実、そういう感情は間違いなくあったなと思うんよ。
でね、もうそういう発信する時代じゃないなあと思うと、ちょっと書き方も変わってきたんよね。
これがもし、誰かの価値観を否定するような形で言っていたのだとしたらさ、それって結局んとこ、ただの分母の取り合いじゃない?
「分母」という考え方自体がナンセンスかもしれないけど、結果としてそうなるなら一緒だよね。
「あいつの言ってることより俺のほうが正しい」みたいなさ。
とはいっても、口はまだ悪いほうの部類だとは思うし、知らない間に誰かが大切にしてる価値観をつい揶揄してるかもしれんからね、だから時々は自分を客観視するようにはしてるのだけども。
自分と違う考えのものを粗探しするヒマあったら、共感できる仲間を増やしたほうがいい。そういう方向にシフトチェンジしたのですね。というわけで、秘かに発信の仕方が令和バージョンにアップデートされているのです。

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