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答えが出ないのが答え

昨年の6月のお話です。
ちょうど『意識のアップデート講座』というセミナーを開催していました。

この世界は情報でつくられてるんだから、時間も空間も自分の思い通りにつくることができる。

というのを冒頭でお話ししていたのだけども、要するにこの世界ってロールプレイングゲームのようになっていてね、キャラクターもゲームフィールドも家も川も森も空も全て同じ、0(無)と1(在)の組み合わせ方でつくられているから、目に見える姿形は違うけど、そもそもの原料はおんなじてこと。『ワンネス』とかいうのはそういう感じのこと。

で、その中のゲームキャラクターの主人公としてこの世界を生きてるのだけど、この主人公は自分の意思で選択、決断、行動してると思い込んでいるけども、実はこのゲーム世界の外には、コントローラーを握って主人公を操作して遊んでいるゲームプレイヤーがいるわけよ。
さらに、このゲーム世界そのものをつくった創造主、つまりゲームプログラマーもいるわけね。

じゃあどれが本当の自分なのかというと、どれも自分なわけ。

要するに

ということ。

自分でプログラムしたマルチエンディングのゲームの中を冒険している真っ最中なわけです。
で、この世界はゲームとは思えないほどの臨場感をもって再現されてるから、実際ぼくら(ゲームキャラクター)の目には

こんな風に見えてるわけよ。で、自分の意思で動いてるとしか思えないんだけど、ゲームの外(見えない世界)でコントローラー握って遊んでる“自分”がいるというわけ。

だからね、
ゲームキャラクターの自分として没入して冒険しまくる(主観)。
ゲームプレイヤーの自分として後悔も不安も恐れも悲しみも楽しむ(客観)。バイオハザードって怖さを楽しんでるわけじゃない?あんな感じね。
ゲームプログラマーの自分として世界そのものを自在に創造する(超客観)
この三つの視点がなんとなーくでも理解できると、生き方はずいぶんと楽になるんじゃないかとぼくは思うんだよな。
これが絶対的な真理とは言わんけどね。だってこれはぼくにとっての真理であって、みんなにも共通する真理とは限らない。だってこの世界のゲームプログラマーが自分なのであれば、決めつけるべきものは何一つ存在しないことになるわけだしね。
だからこの世界の真理すらも自分で決めていいし、つくっていいのかもね。
というのが『この世界のカラクリ』
と断定は出来ないというパラドックス(笑)
あーなんて理不尽な構造なんだろうね。答えが出ないのが答え。理不尽にして完全。

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