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勇気出して行動したってうまくいかないよ

「ブログ書かなくちゃなあ」
と思うと途端にブログが書けなくなります。義務感を生じると書けなくなるんです。
書きたいことはあるんだけど、衝動的なものは主にツイッターで覚え書きのようにつぶやいてまして、ブログにはそれを深掘りして書いたりしてます。
ツイッターはいいよね、リンク貼ったりとか周りに気を使わなくていいから気軽に書けちゃうから。

さて、ちょっと気づいたことあったんだけど、以前はたまにいいこと言いたくなることがあったのだけども、最近はそうでもなくなりました。
いえ、たまにいいこと書いたなーとは思うのよw
でも誰かのためにってのはないんです。

ぼくはただ自分が気づいたことや体験したことを発表したいだけ。
「あのねー、俺こんなこと体験しちゃったんだー」
なのですよ基本が。

トークイベントなんかはまさにそう。
ぼくの体験発表会ですwww

デフォルトが「どーだ俺スゲーだろー」なんですよ。
皆さんを幸せにしようとかこれっぽっちも考えてないのね。

誰かを救いたいとか人の意識を変えたいとか役に立ちたいとか考えたらね、何もいいこと語ろうとしなくたっていいなと思ってるんです。少なくとも、ぼくは体験シェア型なので、いいこと語ろうとしたってたぶん薄っぺらくなるんやないやろか。

それにここだけの話し、「あーこの人いいこと語りたがってんなー」って文章はそろそろ食傷気味だしね(「ここだけの話し」って言いながらあちこちで吹聴してるけどな)。

だって普通にさ、怖いことや恥ずかしいことやカッコ悪いなと思うことにチャレンジしてたら、それだけで勝手に勇気づけられたり気持ちが明るくなったりする人っているからね、わざわざ「人のため」とか考える必要もなく、勝手に誰かのためになってるはず。

世のため人のためと思えば思うほど、世のため人のためと思って行動しない。自分がしたいようにするだけ。
なんか禅問答みたいだけど、そんな感じで物事の本質って常に裏側にあるんじゃないか、そんな気がしてるのですよ。
この世界のベースとなるプログラムコードが「パラドックス(矛盾)」なのではないかと思ってるのですね。

ちょっと小難しくなってしまったので例え話しをすると、ぼくは「勇気出して行動したらうまくいく」と信じてます。
だけど「勇気出して行動したらうまくいきますか?」って質問されたら「ノー」と答えるか、または「そんなん知らんわ」と答えるw

だってさ、それって「勇気出したらうまくいくと保障してくれたら行動します」って意味をはらんでたら、それ勇気じゃなくない?ってこと。
リスクを背負うから勇気がいるわけやん。なのになんでそこに保障を求めるような質問すんのよ?って話しじゃないですか。

てかそもそも、ぼくの答え如何で行動するか決めるってのがおかしい。
……というパラドックスね。

「感謝するとうまくいく」もそうね。
「うまくいきたいから感謝する」ってそれ『感謝』じゃねーじゃん、ただの打算じゃんって話しなわけですよ。

それってバスタブにバスクリン入れただけ。感謝ってのはとめどなく湧いてくる温泉みたいなもんだからね。
たしかに感謝できてるとうまくいくと思うよ。でもうまくいかせるために感謝したってうまくいかないのね、それ感謝じゃなくなってるから。

ものごとって常に何かしらの矛盾をはらんでいて、その微妙なバランスの中に存在してるのだと思うのです。
皆に目覚めを促す人の周りには、なぜか知らんけど答えを決めて欲しい人が集まるよね。

じゃあ促さないほうがいいんじゃない?
っていうのも、もうひとつの真理かもしれないよね。わかんないけどね。

そういう矛盾をはらんだことをグルグル考えるのが好きだったりします。
ええ、世のため人のためではなく、単なるぼくの気づきの発表の場なので。

あー今日もいいこと書いたー。

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